このページではWBC侍ジャパンに選ばれた佐々木朗希さんのお父さんについてご紹介させていただきます。
佐々木朗希さんは令和の怪物と言われ日本のプロ野球史上最年少で完全試合を達成したことが話題になりました。
そんな佐々木朗希さんのお父様は37歳という若さで他界されています。
それでは詳しく見て行きましょう。
【顔画像】佐々木朗希の父親の死因は大震災の津波?
佐々木朗希選手の父親は佐々木功太さんです。
岩手県陸前高田市在住されていて2011年の東日本大震災で被災。
残念ながら津波に流され帰らぬ人となってしまいました。
父親は東日本大震災にどのようにして巻き込まれた?
2011年佐々木朗希さんは岩手県陸前高田市で家族7人で幸せに暮らしていました。
家族構成は祖父母と父母、兄と弟です。
朗希さんの実家は2011年3月11日に発生した地震による大津波の影響を受け流されてしまいました。
実家に居た佐々木朗希さんの父・功太さんと祖父母が犠牲となってしまうことに。
母の陽子さんは仕事で隣町の大船渡に居て難を逃れたそうです。
陽子さんは実家まで通常30分の距離を3時間かけて戻り3人の子供と再会。
しかし父親と姑舅は戻ってこなかったとのことです。
父親は発見された?
地震発生から5日後「見つかりました」と電話が届きました。
その時朗希さんは『みつかった?!』と目を見開いて驚いたそうです。
佐々木朗希さんは当時9歳。
9歳の少年には父が変わり果てた姿で見つかったとは想像できなかったのでしょう。
大人でも耐えられないほどの悲しみです。
とても辛かっただろうなと推測致します。
同時に祖母も見つかったとのこと、しかし祖父に関しての情報な見つけることができませんでした。
佐々木功太さんは大きく成長した朗希さんの姿をどこかで目を細めて見ている事でしょう。
朗希さんは毎朝父・功太さんと祖父母の遺影に「行ってきます」と声をかけているそうです。
これは学生時代からずっと続けている事。
朗希さんの母陽子さんは
「夫は朗希に『よくがんばったな』と声をかけるでしょう」と語っています。
佐々木朗希の父の職業は葬儀屋?
佐々木朗希さんの父功太さんの職業は公表されていません。
しかしネットでは葬儀会社に勤めていたと書かれています。
あるインタビューで父親の職業について朗希さんは
「人生の節目に寄り添う仕事」と答えています。
その為、葬儀屋で働いていたと考えられます。
葬儀会社の勤務は時間が不規則です。
2011年3月11日の朝はお父さんとは顔を合わせずそのままとなってしまったようです。
佐々木朗希の父は地元のリーダー的存在だった
2020年3月11日の「日刊スポーツ」のインタビューで佐々木朗希さんは
「『誰とでもすごく仲良くしていて、みんなに愛されていたのかなぁ』と思います」
と語っていたことがありました。
2020年3月11日の「日刊スポーツ」では
『佐々木功太さん。
もともと陸前高田では知られた人だった。
元気な3児の優しい父として人生の節目に寄り添う仕事をする人情あふれる働き者として
若きリーダー功太さんに多くの人がほれた。
壊滅的被害からの復興に尽力してきた戸羽太・陸前高田市長(55)も付き合いが長かった1人だ』
と掲載されていました。
戸羽市長は功太さんについて
「有言実行で仲間づくりが上手だった。
気さくで行動力がありみんながついていく」
と語っています。
佐々木朗希投手のことを陸前高田市では
「あの功太さんの2人目の子」と言われていたそうです。
父は『朗希はプロ野球選手になる』と予言していた!
朗希さんの父功太さんの身長は身長181㎝。
バスケットボール経験者だったそうですがよくキャッチボールをしてくれたと朗希さんは語っています。
キャッチボールをしてくれた時
「朗希は凄い!将来、プロになれる」と予言していたそうです。
2021年5月27日の対タイガース戦でプロ初勝利をあげた朗希さんは
『ウイニングボールを誰に渡しますか?』かとインタビューで聞かれました。
その時「両親に渡したい」と即答しています。
母陽子さんは
「私だけでなく『両親に』と言ってくれたのが本当に嬉しかった」
と涙を流しながら喜んだとのこと。
そんなお母さんやお父さん、祖父母の為にもWBCで大活躍をして欲しいです。
私達も応援しましょう!