日本映画の新しい道を求めて
日本映画監督新人協会
会長 大高正大
近年、劇場では洋画よりも邦画を好む若者が増えてきたと言われています。
確かに、邦画の危機が囁かれていたある時期に比べ、製作本数は大幅に増えました。

しかしその現状は、大手のテレビ局が大金をかけて製作・宣伝したヒット作と、今まで以上に小規模で、完成させるだけで息切れしてしまい、観客を集める事すら出来ない映画に二極化しつつあります。

これが日本映画のあるべき姿でしょうか?

全国の映画館の座席数に対する入場観客数の平均は17%だそうです。(2012調べ)
100人の映画館に毎回17人しか入場していない計算になります。

ヒット作があるという事は、これ以上に動員数の少ない作品が多数あるわけです。
これでは産業とは言えません。

リクープ(回収)出来ない中規模の映画は増々制作費を切り詰め、品質を下げて行くデフレスパイラルに陥り、いずれは消滅して行くでしょう。

このような現状を打破する為には、産業としての映画の底上げが必要です。

一つはクリエイター、観客双方の意識を高め、文化としての日本映画を盛り上げる事。
もう一つは、その文化を日本国内だけに留めず、広く海外にも売り出すという事です。

その一手として、日本映画監督新人協会は新しく映画祭を立ち上げました。

開催地は、サブカルチャーの発信源として世界にも知られる『中野』。
この映画祭は中野を拠点として、日本映画を見る楽しさ、作る楽しさを全国に、世界に伝え、新たな文化の発信源となる事。
また、産業として世界のマーケットに通用する作品と人材を育てる事を目標としています。

この映画祭が、新たな日本映画の発展を促すものになり、また、新たな文化として地域と共に根付きますよう、皆様の暖かいご支援とご協力を、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

日本映画監督新人協会沿革
1945年(昭和20年)11月1日、個人加盟による「日本映画監督新人協会」の前身である「日本映画監督新人会」が東宝、松竹、大映から34名が参加して発足。
当初34名で発足した「日本映画監督新人会」は、昭和22年には、250名に拡大、「映画新人」を刊行する。所属企業も新東宝が1社増え、東宝、松竹、大映、新東宝の劇映画4社の新人監督と助監督を主体として構成された会となる。

この中に、黒澤明、市川崑、川島雄三、西河克己、家城巳代治さんたちの名前がある。
1年半後、1949年(昭和24年)「監督新人会」は、「日本映画監督新人協会」として生まれ変わる。「日本映画監督新人協会」は、フリーの新人監督や助監督たちが中心になり、それに東宝、大映、松竹、新東宝など劇映画4社に所属する新人監督、助監督が加わって設立されました。最盛期には600人以上の会員がいた団体でした。

現在は独立プロやフリーの監督、自主映画監督などが中心となり、任意団体として監督やスタッフ、俳優と交流や協力、勉強会などを行っています。